ニューヨークと土佐町

2022年夏、18年暮らしたニューヨークを離れて四国のど真ん中、土佐町に引っ越した。それは当時は自分の意思が及ばない想定外な出来事だった。高知の無人駅に降り立った時、これからどんな生活を送ることになるのか全く想像出来なかった。ただ15年前に空を妊娠した時と同じように「私の人生が悪く設計されてるはずはないから、大丈夫!」という自分の人生への絶対的な信頼感だけを握りしめていた。

あれから2年経って、「自然の音が怖い、夜の暗闇が怖い、どうしてタクシーの運転手さんはいつも同じおじさんなの?」と言ってたニューヨーク生まれの子どもたちも、町の小さなお祭りを楽しみにしたり、放課後川に涼みに行ったり、夕空の美しさや満天の星空の広さに心を動かす日常を送っている。

私も顔がわかる人が増え、気兼ねなく助け合えたり楽しみ合えたりする友人たちも出来て、町への愛着が増した。大人になってからずっと都会暮らしで、刺激的な出来事や人との出会いが人生を耕してくれると思ってきたけど、「どこにいるかに左右されるのではなく、自分がいるところを楽しくするのが人生」と思えるようになった。それを子ども達にも感じてもらえたら嬉しいし、いつか生きる力にしてほしいと思っている。

もちろんニューヨークは今も大好きな街。型にはまらない人から溢れてるエネルギーは大好物だし、人生を楽しむことを知ってる大人がたくさんいて清々しい。自分のちっぽけな大変さにとらわれずに、今生きてる奇跡に手を合わせて前のめりに笑っていたい。そんなことをこの街のエネルギーは思い出させてくれる。18年過ごして大好きな友人たちがいるニューヨークは、私にとってこれからも特別な街であり続ける。

それにしてもこのふたつの場所があまりにも違うので、この間ニューヨークに行って帰ってきたら、場所だけじゃなく時空を超えて移動したような不思議な感覚になった。

一番顕著なのがお金のあり方。ニューヨークの物価上昇率は本当にすごくて、家賃や食費もしっかり稼がないと捻出出来ない。お金を稼がないと日々が立ちゆかないプレッシャーの中で、その仕組みから抜け出す隙がない。株とか色々、お金が得意じゃないと難しいことが多い。この間ニューヨークに行った時にも、日々懸命に働いてる友人たちから口々に出てくるお金への不安は、かつてその場所にいた自分だからよくわかる。

土佐町の暮らしはどうだろう。子どもの医療費や給食費が無料、2ベッドルームだと100万円近くするような家賃のプレッシャーもなく、アフタースクールも無料、習い事も数千円、季節折々の農産物が誰かから玄関に届けられてたりする。都会では、時間いっぱい働いて有給使って出かけて行くような自然の中で、既に日々暮らしている。今写真を撮らせてもらっている家族は、土佐町の水道もガスもない場所で、大豆を育てて味噌や醤油を作り、海水から塩を作り、米や小麦を作り、トイレは100%肥料に回し、薪で風呂を沸かし、現金収入の必要度が低い暮らしをしている。そして子どもは5人!ニューヨークだと子ども1人にかかる費用が高過ぎて、子ども5人なんてどれだけお金持ちでも無理っていうのが多くの人々の共通認識なのに。

「豊かさ」ってお金のスケールだけで測られがちだけど、本来はそうじゃないってことをこの場所は思い出させてくれる。もちろん今の社会でお金なしでも大丈夫!っていうつもりはないし、ここを拠点に自由に動けるくらいのお金を稼げるのは私の目標。だけど日々の暮らしに追われて見えなくなるものの中に、豊かさがたっぷりあると実感する時間を私は今、過ごしている。

「日が当たらない場所に光を当てたい」というのが20代でドキュメンタリー写真を撮り始めた頃からの私のテーマだったけど、もしかしたらそれは私の人生そのもののテーマなのかもしれない。

「ニューヨークと180度違う場所に移ってどう?」って聞かれるけど、私は今この変化を心から楽しんでいる。